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機動戦士ガンダムUC[ユニコーン] MOBILE SUIT GUNDAM UNICORN


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SPECIAL

福井晴敏インタビュー 2008.04.09

待望の最新第4巻が4月26日に発売された小説「機動戦士ガンダムUC」(以下「UC」)。単行本、そしてプラモデルのMG「ユニコーンガンダムVer.Ka」も大ヒット、「月刊ガンダムエース」(角川書店)での連載も折り返し地点を迎え、5月からは新章「重力の井戸の底で」がスタートする。大きなうねりとなりつつある「UC」について、著者である福井晴敏氏にうかがった。

「ガンダム」に真正面から取り組む

「ガンダム」に真正面から取り組む

「UC」は一本の話としてとらえると、折り返しである今の時点で、これまでいちばん長かった「終戦のローレライ」(講談社)に追いつこうという分量に達しています。原稿用紙に換算すると5000枚くらいにはなるでしょう。素人時代に書いていた、馬鹿にみたいに長い小説があったんですが、それすらもトータルでは超えるかもしれない。

 「UC」は当初、「宇宙世紀」の舞台を借りた、どちらかといえばこれまでの著作に近いテイストのもの、という企画からスタートしています。「ガンダムが出てくる物語」をつくろうというところから始まっていないんです。

 ただ、以前に小説「ターンAガンダム 月に繭 地には果実」(講談社BOX)を書いた際、「ガンダム」というタイトルがもつ力そのものは、とても大きい、と感じました。それは今回の連載でもなんとか生かしたいなという気持ちはありました。それと「ガンダム」の世界でやるのなら、真正面で取り組まないといけないのではないかとも。富野由悠季監督がつくってきた作品の後に、「ガンダム」のタイトルが付かない作品をつくったとして、はたして、そこに自分が続く意義があるのか。

 それに今は掲載誌の「月刊ガンダムエース」も含め、「ガンダム」のサイドストーリーや漫画がたくさんあります。そこへ小説で切り込むからには、それなりに仕掛けていかなくてはならないでしょう。

そういった意義や仕掛けを考慮していった結果、「ガンダム」とガチで組み合うことになりました。

ただ「UC」は「ガンダム」が出てくる作品ではあるけれども、これまでの「ガンダム」作品の定型を相当崩したものになっています。

そのために最初のガンダムのシーンに近いシチュエーションに重なるときは、あえてフル・フロンタルにシャアのセリフを言わせたり、やらせたり、デジャビュみたいなことも仕込んでやっています。そうでもしないと、NHKの大河ドラマを見ているような気分にいつの間にかなってしまう。そんなときに「これはやっぱりガンダムなんだ」とふいに思い出させる。それはユニコーンガンダムの存在そのものといっしょで、わりとスパイス的に使ってますね。

ユニコーンを「懐刀」にもつ

ユニコーンを「懐刀」にもつ

ユニコーンはいわば「懐刀」的な存在です。普段は常識的な顔をして歩いている人間が懐にそれをしまっている。いつもは腰にさしている脇差しで戦いもするのだけれど、いざというときに懐のガンダムを、「水戸黄門」の印籠のごとく存在として提示できる。懐刀があるのになかなか使わず、さんざん焦らして出すことでお客さんが「待ってました!」というような気分になる。逆に、そういうケレン味のあるエンターテインメント性を、いかに排除し、いい意味でお客を裏切っていくかを念頭につくられていたのが宇宙世紀の「ガンダム」作品なんです。そういうちょっと斜めに見た世界観は「UC」でも継承しています。そのうえでエンタテインメントとしての肝の部分というのは、きっちりやってみようかなと思っています。

「大人=悪」という構造の打破

「大人=悪」という構造の打破

 主人公であるバナージの周りには、若い人間を配置していますが、ほかは年季の入った大人たちばかりです。

「ガンダム」作品の若者は、大人が堕落させてしまった社会の「被害者」というのが基本フォーマットでした。被害者になった彼らが、どうやって状況をはね返していくか、あるいは、はね返せずに押しつぶされていくか、その経緯を描いていくのがこれまでの「ガンダム」でした。

「UC」は「大人向け」につくっていくとき、いちばん意識したのが、悪意をもって悪をなす人って、現実世界に実はあんまり見かけないよね、というところです。それは生きていればわかることで。けれども、中高生向けのアニメーションは、「大人とか既存の世の中というのは、硬直し、間違っている。だから若いあなたたちが頑張りなさいよ」、そういうメッセージが多かった。特に自分が子供のころに見ていたアニメーションの主人公は、ほぼ間違いなく全員一匹狼だった。「あしたのジョー」の矢吹ジョーしかり、「ゴルゴ13」のゴルゴしかり。彼らは世の中や、体制に背を向けて、ひとり戦っていた。しかし、どうもそれだけでは世の中、回っていかないぞというのは、大人は骨身に染みてわかっていて。せめてアニメーションの中では、自由な一匹狼たちを活躍させたい、という制作者側の意図があったのだと思います。

 逆に「UC」では、いわゆる「大人=悪」「子供のピュアな心=善」という構造は壊さなければと思ったんです。それを壊したうえで、「ガンダム」を、ロボットものを成立させられるかが今回の肝でした。そこはかなり意識してやったところです。今までのアニメーション作品であれば、エコーズのダグザは、もっとガチガチの体制に縛られた人にすると思うんです。けれど「UC」ではいちばん悪役めいた、救うところがまったくないアルベルトも含めて、ひと皮むけば大人だってそれぞれ事情がある人たちとして存在している。「機動戦士ガンダム」ではジオンを単純な悪役として描いてはいませんが、ダグザたちはもっと身の回りにいる大人として、彼らの事情に踏み込んでいます。嫌な奴、頭が堅いように見える人間も、そうせざるを得ない、それぞれの事情がある。いろいろ問題がありながらも、現代の世の中を破綻させずに運営していくことは、実は大変な英知が必要なことです。もちろん既存の者だけに頼っていたら、これから先、発展もないし、今みたいな閉塞的なことになってしまう。だけれども、まず、せざるを得なくて我々はこうなってしまったんだ、ということを自覚してからでないと、未来のことは考えられないわけですよね。

 要は「機動戦士ガンダム」は、世の中との向き合い方を考える作品として、「大人社会は今こんな困ったことになっています」、という描き方をしたんだとしたら、「UC」はもう一歩先に進まなければいけないなと。世の中を構成している大人社会が困ったことになっている。その困った大人社会の一員に、「ガンダム」を見ていた俺たちは間違いなくなってしまっている。あるべき方向に行きたいんだけれどもできない。それを押しとどめているのは、頑固だからなのか、仕事に対する責任感からなのか、それは裏表どっちから見るかということでしかない。そのあたりも、戦っている相手も人間であるというところから、もっと踏み込んで、周りの軋轢を生む構造そのものを描いていきたい。それこそリディのお父さんみたいな政治家であっても、自分がいちばん最善と思ったことをやった結果が、宇宙世紀0096年の状況をつくりだしてしまっている。でもどこかで頑迷になっちゃっている部分があるわけで。それはどうやったら取り外せるんだろうか、「UC」はそこを考えていくお話にしていきたいですね。

地球編で繰り広げられる物語

 連載はしばらく、地球でのお話になると思います。ガランシェールにバナージは結果的に回収されてしまって、砂漠に落っこちてしまいます。砂漠は、「ガンダム」シリーズでは必ずフィーチャーされてきた舞台。その環境を出しつつ、一方で、これからちょうど世の中は季節的に夏になっていくので、夏はやっぱり水中MSは外せないだろう(笑)ということもあり、海を舞台にした戦いもかなり出てきます。これまでも毎度毎度スペクタクルなことをやってはきてはいますが、地球編も仕掛けとしてはかなり大がかりなことをいろいろと仕込んでいます。書くほうは大変だけれども、期待に添うものになればと思います。
【2008年4月9日 都内某所にて】

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